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在所のぬくもりを未来へ 花脊文化講が紡ぐ持続可能な地域の物語

更新日:2025年10月02日

1. 花脊(はなせ)への道のり

 京都市内では32度を示していた温度計の数字が、標高759mの峠を抜ける頃には28度にまで下がりました。車内のエアコンを切って窓を開けると、涼しい風が頬を撫で、視界には豊かな自然と、そこに暮らす人々の慎ましくも逞しい営みを感じさせる集落の風景が広がります。京都市の北部、深く山間に入った場所にある花脊に到着したのです。

 村上春樹の小説『ノルウェイの森』で、主人公・ワタナベの親友の恋人である直子が療養する『阿美寮』はこの花脊付近を想定して書かれたと言われています。「おそろしく山深いところ」―― 村上春樹はそう表現しています。

 花脊の文化や歴史について学び合う勉強会で、参加者同士をつなぐプラットフォームの機能を持つ花脊文化講を主催し、花脊の歴史と文化を未来につなぐことに情熱を注ぐ藤井和彦さんにとって、花脊とは一体どういう存在なのでしょうか。<花脊の歴史文化>や<プラットフォームとしての花脊文化講>についてのお話をお伺いしながら、藤井さんの花脊への深い愛着と、地域文化の継承にかける想いを探ってみたいと思います。

2. 『在所』としての花脊

 藤井さんにとって花脊は、深い歴史と文化が息づく特別な場所です。なぜなら、それは単なる故郷を超えた『在所(ざいしょ)』だからです。花脊文化講を通じて、この在所を次世代へ持続可能な形で継承していくことが、藤井さんの活動の核となっています。在所という言葉は、花脊の生活を記録した『在所のぬくもり:くらしの記録』(京都市左京区別所花背広河原久多自治振興会 1984年出版)の刊行以降、人が住む場所や田舎という意味を超え、より深い思いや絆を表現する言葉となっています。

 この地には、花脊の人々が「みやさん」と親しみを込めて呼ぶ三輪神社が鎮座しています。山そのものを御神体としているため、神様が鎮座する本殿は設けられていません。拝所の中央には、古代祭祀に使われたとされる夫婦鏡岩が鎮座しており、太古の信仰の形を今に伝えています。

 明治12年(1879年)の神社合祀により、三輪神社の拝所の左右には、現在の花脊別所町内にあった日吉神社と金峰山神社が合祀され、三つの社が並び立つようになりました。「村の言い伝えでは、神木は平清盛の手植えだと言われています」と藤井さんは語ります。しめ縄が巻かれたその立派な杉の木は、拝殿に隣接してそびえ立ち、花脊の深い歴史と人々の信仰を今に伝えるシンボルとなっています。

3. 花脊の歴史的遺産

 花脊の歴史を語る上で欠かせないのが『経塚(きょうづか)』の存在です。花脊には8箇所もの経塚が確認されており、これは平安時代、末法思想(まっぽうしそう)が広がる中で、藤原道長が始めた経典を地中に埋納する習慣の名残です。経塚は、大正時代から昭和のはじめ頃にかけて植林作業中に偶然掘り出され、その発見が一大ニュースとなるほど歴史的な意味合いを持つものでした。経塚は、56億7千万年後に弥勒如来(みろくにょらい)が下生(げしょう)する時、失われた経典が復活することを願う供養としての役割を担っていました。壺や経筒に刻まれた氏名からは、古代の豪族との繋がりも推測されます。

 また、花脊は祇園祭に用いられる笹の採取地としても有名です。この笹は『チマキザサ』といって、通常の笹とは異なり、裏に毛がなく、香りも独特で、花脊のチマキザサ保護区は自然共生サイト制度(※)により認定された、生物多様性を増進する活動の実施区域となっています。

※ネイチャーポジティブ実現に向けた取組として、地域における生物の多様性の増進のための活動の促進等に関する法律に基づき、企業の森や里地里山、都市の緑地など民間の取組等による生物多様性を増進する活動計画を国が認定する制度。

4. 花脊文化講の始まり

 藤井さんが主催する花脊文化講は、当初は「博物館的に風習を残したい」という思いもありましたが、その根本的な目的は<継承>あります。過疎化が進む花脊において、この地域の豊かな自然と歴史を次の世代へとつないでいくこと、すなわち持続可能な地域づくりを目指しています。

 花脊文化講の活動は、藤井さんと、花脊地区で古民家を利用した宿を営むケルガード慶子さんの2人から始まりました。当初は少人数で地元のお年寄りから地域の歴史や昔の暮らしについて話を聞く、不定期な集まりでした。

 やがて、京都市文化博物館や京都国立博物館の学芸員、環境教育の専門家など、外部の有識者も講師として招くようになり、活動の幅が広がっていきました。参加者は固定されておらず、毎回講演内容によって入れ替わる流動的なスタイルが特徴です。地域住民だけでなく、大阪をはじめとする遠方からも人々が集まります。

 花脊文化講の参加者の中には、自ら事業を営んでいたり、将来的に起業を目指したりする意欲的な人々が見られ、彼らは花脊での活動を通して、自分なりの生き方や役割を見出し、各自の活動フィールドで持続可能な社会づくりを目指すヒントを得ています。

5. 福田寺の出会いと四者の連携

 花脊文化講に大きな転機をもたらしたのは、橘俊夫氏との出会いです。地区に佇む福田寺は平安時代から続く由緒ある寺ですが、近年は荒廃の一途を辿っていました。その現状に心を痛め、再興に乗り出したのが、『東邦レオ株式会社』会長、橘俊夫氏です。彼は「世のため、人のため」という理念のもと、『一般財団法人レオ財団』を設立し、社会貢献活動を行っています。橘氏が福田寺の再興を始めたことで寺に新たな息吹が吹き込まれ、また、花脊を訪れていた橘氏が偶然近くにいた藤井さんと立ち話をしたことがきっかけとなり、毎月の法要後に花脊文化講が開催されるという、新たな地域の営みが生まれました。

 福田寺と花脊文化講の連携は、人づくりを軸とした地域づくりのモデルケースとして、まさに理想的な形であると藤井さんは考えています。寺は本来、人々のコミュニティの場であり、学びや交流の拠点でした。福田寺の再興と花脊文化講の連携は、その本来的な役割を現代に蘇らせる試みでもあるのです。

 もう一人の重要な協力者がいます。藤井さんの家の隣にある福祉施設『花友はなせ』を経営する社会福祉法人市原寮の理事長、森京子氏です。森氏は地域の高齢化という課題に応え、2006年に施設を開所しました。そんな彼女もまた、花脊文化講の熱烈なファンであり、「京都市内、洛北地区の各地域に、それぞれの文化講があるべき」という信念のもと、会場提供、人材のコーディネート、運営協力などを通じて、花脊文化講の活動を力強く支援しています。

 これらの取組は、国際的にも大きな注目を集めています。ハーバード大学の研究者は、日本の宗教史における<国家のための仏教>から<民衆のための仏教>への変化に強い関心を寄せ、花脊の民俗を研究するために何度もこの地を訪れています。一つの地域の文化を継承しようとする小さな活動が、やがて国境を越え、普遍的なテーマとして共感を呼んでいるのでは、と藤井さんは言います。

6. 棚田再生と濱口さんの挑戦

 花脊文化講の活動は多岐にわたり、特に近年力を入れているのが花脊地区にある棚田の再生です。棚田は単なる農地ではなく、水源涵養(かんよう)地として、水を保ち土壌にじわじわと染み込ませることで生物多様性の保全にも寄与し、豊かな環境を育む重要な役割を担っています。また、そこでの共同作業や人との繋がりは、現代社会では失われがちな精神的な豊かさをもたらします。

 この棚田再生の取組において、特に重要な役割を担っているのが植木職人の濱口洋滋(はまぐちようじ)さんです。造園の仕事を通じ、植物や地形、森林への深い関心を持つ濱口さんは、藤井さんとの縁からこの活動に参加しました。

 濱口さんの棚田再生への関わりは、彼自身のもう一つの生き方の探求と深く結びついています。都市部から農村地域への移住を考える中で、彼は自然の恵みや地域のつながりを大切にした暮らしを模索してきました。5人のお子さんの父親でもある濱口さんは、「子どもたちの将来を考えたときに、お金や物質的なものばかりを追い求めがちな現在の社会のあり方に疑問を感じている」と言います。

 彼にとって、棚田は食べることと直結するものであり、以前から興味を抱いていた分野でした。花脊で多くの耕作放棄地となった棚田が広がる現状を目の当たりにし、その再生が喫緊の課題であると感じた濱口さんは、「美しい棚田と食の安全を守る」という強い思いから、棚田再生に乗り出しました。当初は水張りだけの予定でしたが、京都市内の洛北地区の大原や市原で稲作を行う住民の方々からの協力で苗が手に入るなど、予想以上に進展したと語ります。

7. 伝統技術と<お金に頼らない生き方>

 藤井さんは、「花脊に残る古民家や伝統建築は、釘を使わない継手(つぎて)という伝統技術で作られており、非常に高い強度を持ち、何十年経っても十分な強度を保持している」と言います。これは、一般的に 50 年程度とされる現代の木造住宅の平均寿命と比較しても、自然素材と伝統技術がいかに持続可能であるかを物語っています。藤井さんは、このような伝統技術や知恵が失われつつある現状に強い危機感を抱いています。

 こうした思いから藤井さんは、「お金を使わない生き方を実践している」と話します。これは単なる節約術ではありません。石油の代わりに自ら薪を作り、地元の食材を活用する――これらは経済システムへの過度な依存から脱却し、<足るを知る>精神を体現した新たな幸せのカタチなのです。

8. プラットフォームとしての花脊文化講

 花脊文化講の価値は、参加者や地域住民がそれぞれの経験や知恵を共有し、新たな行動へとつながる学びと交流が生まれる地域実践プラットフォームとして機能することにあります。ここでの活動が花脊文化講に参加する人々にとって、生きるうえでの勇気となり、それぞれが暮らす地域の中で生き抜くためのヒントを提供する。そうした参加者が互いに刺激し合い、実践へと踏み出すきっかけを与える触発の場として展開されているのです。

 藤井さんが強調するのは、地域づくりにおいて、特定の誰かがすべてを担うのではなく、みんなが<できることをそれぞれする>ことの重要性です。そして、花脊が持つ豊かな自然、歴史、そして共生的な生活様式といったその特性を保ちながら、次の世代に花脊の文化、知恵、そして持続可能な暮らしのあり方を継承していくことに目的があると藤井さんは強調します。花脊が示す地域との連携や、福田寺や棚田の再生、地域住民や外部の人々との交流を通じたコミュニティの再構築は、現代社会が抱える様々な課題に対する重要なヒントを与えてくれます。

9. 帰路に想う

 豊かな自然に囲まれた集落の風景、そこを縫うように続く峠道、そして奥深い山里からアスファルトが照りつける京都市内へと続く帰路――。古来より『都の奥座敷』とも称されてきた京都の花脊で、藤井さんは地域文化の継承と持続可能な地域づくりに挑み続けています。帰りの車中で、「藤井さんにとって、花脊はどういう存在なのか?」という問いを尋ねるのを忘れたことに気づきました。しかし、それはもう自明であるようにも思われました。藤井さんにとって花脊とは、<できることをそれぞれする>を実践し、多くの人々と共に学び合う大切な場所なのでしょう。花脊文化講というプラットフォームを通じて紡がれる物語は、単なる地域活動の枠を超え、私たちが真に豊かな社会を築くための道筋を照らし出しているのです。

環境教育等促進法

正式名称は「環境教育等による環境保全の取り組みの促進に関する法律」(平成23年6月改正)。環境行政への民間団体の参加と、多様な主体による協働を推進するための規定が多く盛り込まれている。

協働取組

国民、民間団体等、国又は地方公共団体がそれぞれ適切に役割分担しつつ、対等の立場において相互に協力して行う環境保全活動、環境保全の意欲の増進、環境教育その他の環境の保全に関する取組。

ESD

持続可能な開発のための教育(Education for Sustainable Development)。一人ひとりが、世界の人々や将来世代、また環境と関係性の中で生きていることを認識し、行動を変革するための教育。

地域循環共生圏

各地域が美しい自然景観等の地域資源を最大限活用しながら自立・分散型の社会を形成しつつ、地域の特性に応じて資源を補完し支え合うことにより、地域の活力が最大限に発揮されることを目指す考え方。

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